WEKO3
インデックスリンク
アイテム
イギリス占領時代末期におけるアッワル学校と民衆初等教育制度
https://fukuoka-pu.repo.nii.ac.jp/records/202
https://fukuoka-pu.repo.nii.ac.jp/records/2022a2875e9-6527-410c-abe1-ea58b5612e94
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
---|---|---|
![]() |
Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
公開日 | 2018-02-05 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | イギリス占領時代末期におけるアッワル学校と民衆初等教育制度 | |||||
言語 | ja | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | A Study of Awwal School and Elementary Education in Egypt at the End of the British Occupation | |||||
言語 | en | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | エジプト | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 初等教育 | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 二重教育制度 | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 国民形成 | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
著者 |
田中, 哲也
× 田中, 哲也 |
|||||
抄録 | ||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||
内容記述 | 本稿は、伝統的コーラン学校であったクッターブをベースに19世紀末のイギリス占領下の エジプトで制度化された民衆初等教育制度と、19世紀初頭にフランスをモデルとして導入されたエリート養成のための教育制度内の初等教育制度という二つの教育制度が一元化される過程の中 で、1916年に民衆初等教育に導入されたアッワル学校制度がもつ重要性を明らかにすることを目的としている。 1889年に教育省が定めた民衆教育制度は、コーラン暗記に加え読書き算数を教えるという、伝統的クッターブ教育の延長線上のものであった。教師は年齢も修学度もさまざまな生徒を個々に指導し、修了後の進学先も定められた達成目標もなかった。一方、エリート養成教育制度内の初等学校は、学年制に基づくクラス別授業、試験による進級制度に基づき、上級校へと進学するエリート教育制度の入口であった。オスマン帝国からの独立後、エジプト人としての国民統合が必要となった時、この教育の二重構造が克服すべき課題となった。このまったく異なる二つの初等教育制度を一元化するために乗り越えられなければならない主要な障害はカリキュラム、教育法、授業料、外国語教育であった。アッワル学校制度導入によりカリキュラムと教育法における障害が乗り越えられた。授業料、外国語教育という問題は残されたが、この制度の導入は異なる教育制度により分断されていたエジプトにおいて、エジプト人としての国民統合をもたらすために必要な教育制度一元化に向けての大きな前進であった。 |
|||||
bibliographic_information |
福岡県立大学人間社会学部紀要 巻 20, 号 2, p. 101-117, 発行日 2012-01-08 |
|||||
出版者 | ||||||
出版者 | 福岡県立大学人間社会学部 | |||||
item_10002_source_id_9 | ||||||
収録物識別子タイプ | ISSN | |||||
収録物識別子 | 13490230 | |||||
item_10002_source_id_11 | ||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||
収録物識別子 | AA11875546 | |||||
item_10002_relation_12 | ||||||
識別子タイプ | NAID | |||||
関連識別子 | 110009328582 |