@article{oai:fukuoka-pu.repo.nii.ac.jp:00000263, author = {藤山, 正二郎 and FUJIYAMA, Shojiro}, issue = {2}, journal = {福岡県立大学人間社会学部紀要, Journal of the Faculty of Integrated Human Studies and Social Sciences, Fukuoka Prefectural University}, month = {Mar}, note = {漢方、中医学、ウイグル医学などの伝統医学は、なぜ病気になり、なぜそれが治るのかについての理論がわかりにくい。その理由により「科学的」ではないとされ、遠ざけられているき らいがある。だが歴史的には、医療は宗教者の行う加持祈祷ではない、という時点から漢方は始まっている。ヒポクラテスも古代ギリシャ医学を宗教から引き離したのである。  ウイグル医学の四体液説など、それらのバランスが崩れたら病気になるという。それはなんとなくわかっても、現代医学の病因論のように「これが犯人だ」と病原体、細菌、ウイルスを特定するような、わかりやすさはない。  伝統医学は漢方、中医学、アーユルベーダなどすべて、このようなバランス理論をもっている。だが、非常に観念的であり、現代医学からは否定的にみられている。要するに「非科学的」といわれるのだが、これらはその理論はともかく、実践的な医療としてはその重要性を増している。伝統医学の理論に対する考え方も、現代医学を基準にするからわかりにくいのではないだろうか。伝統医学を理解するには、別の視点が必要である。本論は伝統医学の理論を単に哲学的な思弁と片付けるのではなく、それを理解する方途を提示するものである。  その事例としてウイグル医学、中医学をとりあげる。体液説を考え、それが実体として存在するのかを知るため、中医学の臓器の考え方を述べる。現代医学の解剖学と対比すると、伝統医学では全体的な臓器の相互作用とバランスが重要視されている。また、病因の探求には伝統医学は関心がない。現前していて、患者が経験する症状がすべてであり、遡及して病気の原因を探ることはしない。現代医学の病因の考え方の有力なものの一つはウイルス、細菌などの特定の病原体であるが、病気の原因として遡及的に特定することは、果たして科学的であろうか。  病気を特定の原因に帰することは、わかりやすく、患者にとっても納得できるかもしれない。しかし、この論理は、病気を特定の悪霊のしわざとする前近代的な思考と同じである。病気の原因はあるにしても単純ではない。特定の病因に帰すると別の原因の探求がおろそかになる。遡及的に原因が特定されると捏造されるかもしれない。原因に対する考え方の転換が必要であろう。}, pages = {29--41}, title = {原因の不在 -伝統医学の病因論-}, volume = {16}, year = {2008}, yomi = {フジヤマ, ショウジロウ} }